第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)

第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)

第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)の師団章
創設 1944年8月
廃止 1945年5月8日
国籍 ナチス・ドイツ
所属 武装親衛隊
規模 師団
兵種 擲弾兵
人員
所在地
上級部隊
愛称
モットー
主な戦歴 第二次世界大戦

第30SS武装擲弾兵師団(ロシア第2)30. Waffen-Grenadier-Division der SS (russische Nr. 2))は武装親衛隊師団である。

1944年バグラチオン作戦をはじめとするソビエト赤軍の度重なる大攻勢により武装親衛隊の兵力不足はこれまでになく深刻なものとなっていた。この緊急事態において、これまで禁忌とされてきたソビエト兵捕虜を兵員とした戦闘部隊創設がついに実現し、ポーランドにおいて個々に後方警備やパルチザン狩りなどを担当していたロシア人義勇兵の諸部隊が集められ警察旅団ジークリングが編成された。旅団は大多数が元ソビエト軍捕虜であるロシア人兵士であり、その他ベラルーシウクライナアルメニアタタール人兵士が所属していたが、幹部は専らドイツ将校が務めていた。

師団はプロイセン東部(1944年8月-9月)、フランス(1944年9月-10月)、ドイツ(1944年10月-12月)でそれぞれ作戦に従事した。1944年9月14日にはウクライナ将兵が大部分を占めていた大隊が反乱を起こし、指揮官であるドイツ人将校を殺害してフランスレジスタンスの一派、FFI(Forces Françaises de l'Intérieur)へ脱走するという事態も発生した。

度重なる戦いで多大な被害を受け、1944年12月の時点で、兵員数は4,400名。彼らは戦線より引き抜かれ、ドイツ・スイス国境へ送られ最終的に部隊の解散が命ぜられた。多くの将校はSS第38擲弾兵師団ニーベルンゲン、信用できない義勇兵はアンドレイ・ウラソフ率いるロシア解放軍へ、信頼できると判断された義勇兵は第30SS武装擲弾兵師団(白ロシア第1)へ異動となった。

師団長

着任 離任 階級(当時) 氏名
1944年8月18日 1944年12月31日 親衛隊中佐 ハンス・ジークリング
de:Hans Siegling
   

第1SS装甲師団 ライプシュタンダーテ・SS・アドルフ・ヒトラー
第2SS装甲師団 ダス・ライヒ
第3SS装甲師団 トーテンコプフ
第4SS警察装甲擲弾兵師団
第5SS装甲師団 ヴィーキング
第6SS山岳師団 ノルト
第7SS義勇山岳師団 プリンツ・オイゲン
第8SS騎兵師団 フロリアン・ガイエル
第9SS装甲師団 ホーエンシュタウフェン
第10SS装甲師団 フルンツベルク
第11SS義勇装甲擲弾兵師団 ノルトラント
第12SS装甲師団 ヒトラーユーゲント
第13SS武装山岳師団 ハンジャール(クロアチア第1)
第14SS武装擲弾兵師団 (ウクライナ第1)
第15SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第1)
第16SS装甲擲弾兵師団 ライヒスフューラー・SS
第17SS装甲擲弾兵師団 ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
第18SS義勇装甲擲弾兵師団 ホルスト・ヴェッセル
第19SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第2)
第20SS武装擲弾兵師団 (エストニア第1)
第21SS武装山岳師団 スカンデルベク(アルバニア第1)

第22SS義勇騎兵師団
第23SS武装山岳師団 カマ(クロアチア第2)
第23SS義勇装甲擲弾兵師団 ネーデルラント(オランダ第1)
第24SS武装山岳猟兵師団
第25SS武装擲弾兵師団 フニャディ(ハンガリー第1)
第26SS武装擲弾兵師団 (ハンガリー第2)
第27SS義勇擲弾兵師団 ランゲマルク(フラマン第1)
第28SS義勇擲弾兵師団 ヴァロニェン(ワロン第1)
第29SS義勇擲弾兵師団 RONA(ロシア第1)
第29SS武装擲弾兵師団 (イタリア第1)
第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)
第30SS武装擲弾兵師団 (白ロシア第1)
第31SS義勇擲弾兵師団
第32SS義勇擲弾兵師団 1月30日
第33SS武装騎兵師団 (ハンガリー第3)
第33SS武装擲弾兵師団 シャルルマーニュ(フランス第1)
第34SS義勇擲弾兵師団 ラントシュトーム・ネーダーラント(オランダ第2)
第35SS警察擲弾兵師団
第36SS武装擲弾兵師団
第37SS義勇騎兵師団
第38SS擲弾兵師団 ニーベルンゲン