日本のユダヤ人 (にほんのユダヤじん、ヘブライ語 : יהדות יפן )では、日本 に一定期間在住するユダヤ人 の人に加え、ユダヤ教徒 に改宗した日本人やその子孫、さらには日本帰化者、日本に関わりが深い人も含んで説明する。
東京渋谷区 広尾にある日本ユダヤ教団本部・シナゴーグ 。なお、この建物は2009年に建て替えられる前の旧建造物である[2] [3] 。 日本のユダヤ人社会 かつては、神戸 と長崎 に比較的大きなユダヤ教徒のコミュニティがあったが、第二次世界大戦 の影響で、戦後に多くの在日ユダヤ人はアメリカ合衆国 などへ移住した。現在の日本在住ユダヤ人の多くは、ユダヤ系アメリカ人 などの一時滞在者であるが、イスラエル からの移住者もいる。ユダヤ人とは断定できないが、日本在住のイスラエル 国籍者は802名(2005年末時点)である。また、非常に少ないが、個人的にユダヤ教に改宗した日本人も存在する。ただし、日本人がユダヤ教に改宗したとしても、彼らが自覚するユダヤ人としての生活を特に保護する特別な法制度は存在しない。
日本のユダヤ人コミュニティの歴史 日本で最も初期に知られているユダヤ人は、宋代から来た。本州と四国には5つの商店街があった。1600年までに、移住と同化を通じて、関西にはユダヤ人として識別可能な主なコミュニティが2つしかなかった。 1572年、キリスト教に改宗したスペインのナポリ系ユダヤ人は、マカオのポルトガル人の黒船で長崎に入った。長崎に残っていた人もいたが、そのうちのいくつかはユダヤ教徒に戻り、家族の名前(特にレビテ)を取り戻した。 1586年には、少なくとも3つの永続的な家族で構成されていたユダヤ人コミュニティは、島津軍によって移転された。摂津のユダヤ人は、そのうちのいくつかを(時には130人以上のユダヤ人がいた)地域社会に吸収し、それ以外は去ったか死んだ。 1848年 〜1854年 - 那覇 に、ユダヤ系で当時イギリス 国籍、プロテスタント 宣教師 (兼医師 )のベッテルハイム とその家族が居住した。 1859年 7月1日 - 日米修好通商条約 締結。横浜の外国人居留地 には、幕末の時点で50家族のユダヤ人が住んでいた。レイフル・ショイアーなどの市長も出た。 1861年 - ロシア、ポーランド系のポグロム 難民が長崎 に移住。 1867年、瀬戸ユダヤ人共同体は明治維新後に完全に消滅した。 1896年 9月3日 - 長崎に日本初のケヒッラー 、シナゴーグ が登場する。 1905年 - 日露戦争 終結。長崎のコミュニティーが消滅に向かう。 イラク 系ユダヤ人のコミュニティーが神戸 に形成される。1941年頃までに40家族ほどが居住。 1928年 - ユダヤ人民族区(ユダヤ自治州 の前身)の設置 。 1938年 - ソビエト連邦 と満州国 の国境にあるシベリア鉄道・オトポール駅(現・ザバイカリスク駅)にて、ヨーロッパから逃げてきた18名のユダヤ人が亡命。満州国政府がドイツとの関係悪化を恐れ受け入れを拒んだ為、極東ユダヤ人協会の代表であるアブラハム・カウフマンの相談を受けた樋口季一郎 少将が、状況を見かね、部下たちと共にユダヤ人たちへ食料や衣類、寒さを凌ぐための燃料、医療の手配、上海 まで行くためのルート確保を行った(オトポール事件 )。このルートは「ヒグチ・ルート」と呼ばれ、1938年から1940年にかけ、このルートで上海へ渡ったユダヤ人は4,000人〜2万人とも言われている。その後の杉原千畝 や王替夫 が上海日本人租界へとユダヤ難民を救出するルートとなった。この功績により、樋口は1941年6冊目の「ゴールデンブック」にその名前が載っている[5] [6] 。 1939年 6月 - 駐ベルリン満州国 公使館書記官の王替夫 が、ユダヤ人難民にビザを発給。1940年5月まで、ユダヤ難民含む合計12,000人以上が渡航した[7] [8] [9] 。 1940年 7月 - リトアニア 在カウナス 領事館副領事の杉原千畝 が、ユダヤ難民にビザ発給(1940年9月まで、ユダヤ難民含む合計およそ6,000人)。 1941年 5月末 - ソ連経由でポーランド 系の難民が神戸に移住。杉原が1939年から1940年まで発行したビザによる難民も含まれていた。およそ6,000人のユダヤ人難民を受け入れた。 神戸のコミュニティーは第二次世界大戦 中に大半が上海へ移動し、18,000人のコミュニティーが上海に形成され、アメリカ・ユダヤ人共同配給委員会 (英:American Jewish Joint Distribution Committee)の支援下に生活を送る。中華民国の新しいコミュニティーとしては、ロシアを経て形成されたハルビン ([1])、上海などのコミュニティーが知られている。 戦後まもなく、基督兄弟団 、基督聖協団 (医療・緑化運動支援) 、キリストの幕屋 (手島郁郎が設立。ヘブライ語 辞典、ユダヤ教 関連図書、歴史書の研究と出版活動も行っている) 、聖イエス会 (日本滞在支援、ヘブライ大学 との協力) などといったキリスト教 関係者がユダヤ人社会、イスラエル 国との交流の先導を取りはじめる。 1953年 - アメリカ軍 関係者を中心の、東京・広尾にコミュニティーが形成される。東京に日本ユダヤ教団が設立される。 1961年 - 東京に日本イスラエル文化研究会が設立される。機関紙「ユダヤ・イスラエル研究」を刊行。 1979年 12月 - ユダヤ人社会・経済・教育、ユダヤ教の包括的入門書として、手島佑郎の「ユダヤ人はなぜ優秀か」(サイマル出版会)が刊行される。 1985年 5月 - 石川耕一郎 の翻訳作業の成果である「ミシュナ 」(セーデル・ネジーキーン、9・アーボート 、10・ホーラーヨートの二冊)が出版される。 9月 - 「ベラホート」出版 1986年 2月 - 「タアニート、メギラァ 、モエード・カタン、ハギガァ」出版。 1987年 4月 - 「ペサヒーム」出版。 1993年 6月 - 市川裕 の翻訳による「モエードの巻 メギラー篇」出版(三貴 )。 1994年 8月 - 手島佑郎「ユダヤ人のビジネス哲学」(ダイヤモンド社)刊行。 1995年 - 広島県福山市にホロコースト記念館 が設立される。関西に日本ユダヤ文化研究会(現 神戸・ユダヤ文化研究会(JJSK))が設立される。機関紙は「ナマール」。 1996年 - イスラエル商工会議所設置。 1997年 12月 - 「ケリーム篇 ; オホロート篇 ; ネガイーム篇 ; パラー 篇 ; トホロート篇 ; ミクヴァオート篇 ; マフシリーン篇 ; ザヴィーム篇 ; テヴール・ヨーム篇 ; ヤダイム篇 ; ウクツィーン篇」 翻訳出版(三貴)。 2000年 12月 - 大阪に、民間レベルで経済交流を行う財界人中心の商工会議所設置。 2003年 10月 - 石川耕一郎、三好迪 の翻訳「ゼライーム」出版(教文館 )。 2004年 3月 - 倉内ユリ子の翻訳による「シュヴオート篇」出版(ライブ )。 長崎のユダヤコミュニティ 長崎、梅香崎のベス・イスラエル・シナゴーグ 坂本国際墓地 のユダヤ人区画
長崎のコミュニティーのメンバーの多くは、五月法にはじまる反ユダヤ政策により帝政ロシア からの逃亡を余儀なくされた移民である。 1896年9月、ハスケル・ゴールデンベルク R. H. Goldenberg とジークムント・D・レスナー S. D. Lessner により、長崎市梅香崎町にシナゴーグが設立された。実業家で、長崎のユダヤ人の指導者的存在でもあったレスナーは、1901年発足のユダヤ教博愛協会と、翌年発足の英国系ユダヤ人会両会の会長に就任し、さらに、会社経営者であったモリス・A・ギンズベルグ Morris A. Ginsburg の支援の下、新坂本国際墓地 のユダヤ人区画開設にも尽力した。ゴールデンベルクは二人の男児と一人の女児のいる日本人女性と結婚し、夫人はユダヤ教へ改宗した。1904年、二人のキリスト教徒(日本人)が彼らの合意によりユダヤ教へ改宗した。国内外の貧しいユダヤ人のための慈善(ツェダーカー)組織がレスナーにより組織された。この時期の長崎の総人口が10万7422人であったのに対し、長崎在住のユダヤ人の人口は100人ほどであった。
1904年に開戦した日露戦争は、長崎在住のユダヤ人商人の多くがロシア人およびロシア艦隊への物資供給に関わっていたことから、長崎のユダヤ人コミュニティー 衰退のきっかけとなった。また、長崎の国際貿易港としての地位低下や、1914年の第一次大戦開戦後、同盟国 側のドイツ・オーストリア国籍を有したユダヤ人に対する日本政府による財産の没収、ユダヤ人の指導者的存在であったレスナーの急逝(1920年)により、長崎のユダヤ人コミュニティーは衰退の一途をたどり、長崎のシナゴークも1924年に役割を終えた。
参考文献:ジューイッシュ・クロニクル , June, 1904 "NAGASAKI" by Joseph Jacobs, Jewish Encyclopedia.com
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は必須です。 (説明) Jewish Encyclopedia.com ラビ 東京ユダヤ人社会での歴代ラビ 一覧 ラビ Herman Dicker、1960-1963年、正統派 ラビ Marvin Tokayer、1968-1976年、保守派 ラビ Jonathan Z. Maltzman、1980-1983年、保守派 ラビ Michael Schudrich、1983-1989年、保守派 ラビ en:Moshe Silberschein、1989-1992年、保守派 ラビ Jim Lebeau、1993-1997年、保守派 ラビ Carnie Shalom Rose、1998-1999年、保守派 ラビ Elliot Marmon、1999-2002年、保守派 ラビ Henri Noach、2002-2008年、保守派 ラビ Rachel Smookler、暫定、改革派 ラビ Antonio Di Gesù、2009年-現在、保守派 ユダヤ教ハシディズム・ルヴァビッチ派(ハバド派)のラビ ラビ Binyomin Y. Edery 1999〜 ラビ Mendi Sudakevich 2000〜 シナゴーグ 神戸市のシナゴーク 日本国内には4つのシナゴーグ がある。
神戸市 ・・・神戸市北野町にある国内最古のシナゴーグ。今でも、神戸市周辺には30家族100人程度のユダヤ人・ユダヤ教徒が暮らす。 東京都 渋谷区 ・・・日本ユダヤ教団本部。 横浜市 名古屋市 ユダヤ系日本人 日本のユダヤ人一覧 日本 で活躍した、あるいは現在活躍しているユダヤ人 の一覧 。来日したり居住したりしたことのある人物、所縁のある人物も含む。
※名前は五十音順。新規追加や表記の改名時には準拠されたい。
居住もしくは活躍した人々 あ行 か行 さ行 サミュエル・アイザック・シェルシェウスキー Samuel Isaac (Joseph) Scherschewsky (1831-1906) - 中国に亘ったリトアニア 系アメリカ人の聖公会宣教師(キリスト教徒)。上海主教 、聖書正典全巻・アポクリファの一部を中国語訳(日本で逝去):([4])。 サミュエル・ビング - ドイツ出身のフランスの美術商。1875年以降に複数回来日し、日本の芸術を欧米諸国に紹介しアール・ヌーヴォー の発展に寄与。 サリー・ワイル en:Sally Weil - スイス 出身のシェフ 。1927年 にパリ のホテルから招かれて来日。横浜 ホテルニューグランド の料理長として、20年間にわたり、日本に本場の西洋料理を伝え続けた。戦後スイスに帰国したが、個人の海外渡航がほとんど不可能だった時代に、日本の若い料理人のヨーロッパ留学の世話をして修業先を斡旋、「スイス・パパ」と慕われた。これらの功績が評価され、1973年 、日本から勲五等瑞宝章 を受けた。なきがらは、ベルン 郊外のユダヤ人共同墓地に葬られた。 ジェイコブ・シフ - アメリカの銀行家。高橋是清 と取引した。 ジェイク・エーデルスタイン - アメリカのジャーナリスト。元読売新聞 社会部記者。 G・D・グリーンバーグ(ジョージ・ディクソン・グリーンバーグ) - アメリカ出身の経済学者。1978年に来日、日本のいくつかの大学で教え、引退後は埼玉県 川越市 に住む。 シモン・ゴルドベルク - ポーランド出身のバイオリニスト。日本に永住。 ジュリー・ドレフュス Julie Dreyfus - 女優。 ジョン・シュロスバーグ ジョン・ネイスン John Nathan - アメリカの日本文学者。東京大学 に留学し、三島由紀夫 や大江健三郎 などの作品を英訳して英語圏に紹介した。 スチュアート・リービー Stuart Levy - TOKYOPOP 社CEO。日本漫画の英訳紹介者。 スティーヴン・セガール - アメリカのアクション俳優。15年近くにわたり大阪で武者修行を行い、合気道 など数多くの日本の武術を修める。現在でもプライベートで年数回は日本を訪れている。 スラミフィ・メッセレル (スラミフ・メッセレル) Sulamith Messerer - アサフ・メッセレル Asaf Messerer の妹、ボリショイ・バレエ の振付家。 セオドア・コーエン Theodore Cohen - GHQ経済科学局労働課長として、戦後日本の労働政策を立案。著書『日本占領革命』。 セルゲイ・エリセーエフ - 東洋学者、ハーバード大学教授 ゾラフ・ヴァルハフティク(バルハフティク ) Dr.Zorach Warhaftig(Zera(c)h W(V)arhaftig) (1906-2002) - ラビ・法律家、国民宗教党党首、イスラエル宗教大臣。ホロコースト中の難民の一人。 た行 ダニエル・カリッチマン (ダン・カリッチマン ) Daniel Dan Calichman - サッカー選手。 団野村 Don Nomura - 元野球選手。野茂英雄 や伊良部秀輝 などのメジャーリーグ 移籍で知られるスポーツ代理人。野村沙知代 とユダヤ系アメリカ人アルヴィン・エンゲル Alvin George Engel の息子。 チャールズ・ケーディス Charles Kadis - 弁護士、軍人。GHQ 民政局次長として戦後日本の民主化を推進、昭電疑獄 事件を追及。 デイヴィッド・グッドマン - 日本演劇研究家。イリノイ大学 の日本文学教授。日本の反ユダヤ主義についても言及している。著書に『ユダヤ人陰謀説 日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』などがある。妻はエッセイストで翻訳家の藤本和子 。 デイヴィッド・サッスーン David Sassoon (1910-1991) - 神戸に根拠を持つ貿易業・不動産業者・慈善家。イスラエル人。 デイヴィッド・ローゼン David Rosen David Rosen - セガ の母体の一つとなった、ローゼン・エンタープライズの設立者。セガ・エンタープライゼス発足後は日本で社長を勤め、日本の初期のアーケードビジネス(ジュークボックス 、ピンボール )などは、ユダヤ人企業のセガとタイトーにより発展した。 な行 は行 (ベッテルハイム訳聖書, [7]) ベンジャミン・クリッツァー - アメリカ国籍の批評家。別名デビット・ライス(@RiceDavit)。 ヘンリク・リプシッツ Henryk Lipszyc - 駐日ポーランド大使(1991-1996)、ワルシャワ大学 日本学 科講師。 ボアズ・ハガイ Boaz Hagay - 武道家、武術師範。クラヴマガ創始者イミ・リヒテンフェルト (Imi Lichtenfeld)の一番弟子として日本で指導を行う。Imi Krav Maga ve Hagana Astsmitの代表。イスラエル出身。 ま行 マーヴィン・トケイヤー Marvin Tokayer - ラビ。 マーク・ゲイン Mark (Jilius) Gayn - ジャーナリスト。本名モー・ギンズバーグ(Moe Ginsburg)。戦後の混乱期の日本を取材。著書『ニッポン日記』。 マクシム・シャピロ (マキシム・シャピロ) - ロシア出身のピアニスト。メトネルの弟子で、1927年に日本へ亡命。レオ・シロタ の好敵手と見なされた。教え子の甲斐美和と結婚し、渡米。 マーカス・サミュエル - ロンドン 出身の商人・ロンドン市長。18歳で横浜に着き、明治9年(1873年)同地にサミュエル商会を設立。灯油販売などに発展し、シェルとなる。 マーシャ・クラッカワー - 東京生まれの英語学者、聖心女子大学 教授。 マーティ・フリードマン - ヘヴィメタルバンドメガデスの元ギタリスト 。日本人の妻を持ち、東京都新宿区に住む。ユダヤ系アメリカ人。 マルク・カルプレス - フランス出身のIT起業家、マウントゴックス CEO。 マルティン・カフカ - 福岡サニックスブルース所属のラグビー選手。曾祖父の従弟にあたる人物にフランツ・カフカ がいる。 マンフレート・グルリット - ドイツ出身の指揮者。1933年、ユダヤ人であるにもかかわらずナチスに入党。1937年、党員資格剥奪。1939年にドイツから脱出して来日。中央交響楽団の常任指揮者と東京音楽学校の非常勤講師となる。1941年から、藤原義江 歌劇団の常任指揮者。1945年に終戦を迎えるも、元ナチ党員の経歴が祟ってドイツへの帰国が叶わず、日本に定住。1952年、オペラ歌手の日高久子と結婚、グルリット・オペラ協会を発足させる。東京にて死去。グルリット 家 Gurlitt はユダヤ系の家系。 ミッシェル・ワッセルマン - フランス出身の比較文学者。立命館大学 教授。 ミハエル・ウェクスラー Michael Wexler (1896年 - ?) - ヴァイオリニスト。リトアニア 出身。レオポルト・アウアー の弟子。ロシア革命の混乱を避けて、1923年、渡米の途上に来日し、神戸に住む。大阪交響楽団でコンサートマスターを務めた。貴志康一 の師。1930年に渡米するも、のちに再来日。1935年頃から芦屋でヴァイオリン教室を経営。1937年まで大阪中央放送局のラジオに出演して演奏したが、その後消息不明となる。 ミハエル・コーガン Michael Kogan - タイトー の設立者。日本に亡命したウクライナ系ユダヤ人。早稲田大学 卒。テレビゲームの全盛期を招来。 ミヒャエル・ベーア(バイルとも表記) Martin Michael Bair(あるいはMichael Martin Baerとも表記[19] ) - ドイツ出身の武器商人。1870年までには来日し、日本に長年暮らし、日本人女性と結婚して子供を儲け、武器輸出の会社ベア商会を経営。サミュエル・ビング の妻の兄。原田熊雄 の祖父。 室井一真 - 日本の起業家。保守派に改宗。文化人類学、児童福祉を研究している。 モーシェ・アツモン Moshe Atzmon - 東京都交響楽団 のアドバイザー・首席指揮者。東京都交響楽団の関係者にはエリアフ・インバル 、ガリー・ベルティーニ らもいる。 モーシェ服部 - ラビ、ヘブライスト(夫婦でユダヤ教に改宗しイスラエルに移住)。 や行 ヤコフ・ジンベルグ Yakov Zinberg - 国士舘大学 教授。 ヨーゼフ・ヘンリー・レーフィスゾーン Joseph Henry Levyssohn - オランダ 出島商館長。 ヨーゼフ・ローゼンシュトック (ローゼンストック 、ヨゼフ・ローゼンストック ) Joseph Rosenstock - 指揮者。 ヨセフ・ラスカ Josef Laska(1886年 - 1964年)- オーストリア出身の作曲家、指揮者。1923年、横浜の交響楽団に招かれて来日。しかし折悪しく起きた関東大震災 の被害を避けて関西に居を定め、神戸女学院 で音楽を教える。また、宝塚交響楽団で指揮者を務めた。 吉岡孝浩Joseph 1967年生まれ。日本国籍だが2003年7月に東京渋谷区広尾にある日本ユダヤ教団本部・シナゴーグにてユダヤ教に改宗。数少ない日系ユダヤ人。国内外の学者、著名国際政治評論家などと親交があり、日本人とユダヤ人との友好関係の構築を図っている。 ヤコブ・フリードマン Yaakov Fridman - 株式会社国際パズルの代表取締役、日本初のイスラエル人の看護学生看護学生、介護福祉士。 ら行 ラーム・エマニュエル - 第31代駐日アメリカ合衆国大使 。 リービ英雄 - アメリカ出身の作家。本名 Ian Hideo Levy。日本語で小説を執筆。父がユダヤ人、母がポーランド人 。 リチャード・バーガー - アメリカ出身の日本で活躍するタレント。 リリー・クラウス Lili Kraus - ハンガリーのピアニスト。ジャワ で日本軍に捕らえられ、三年間投獄された。数度来日した。 ルイーゼ・ヴィーゲルト Anna Bertha Luise Wiegert - 森鴎外 のドイツ留学時代の恋人。裕福な仕立屋の娘。1888年9月12日、鴎外を追って来日し、1ヵ月後に帰国。『舞姫』のエリスのモデル。鴎外の二女杏奴(あんぬ)はAnna、三男類(るい)はLuiseから命名されたとする説もある。また、ユダヤ人ではなくプロテスタントの家系の出だったとする説もある。 ルイス・デ・アルメイダ - 医師、商人、イエズス会 士。ユダヤ教からキリスト教に改宗した家系の出。日本初の病院をつくり、ハンセン病 と戦った。 ルートヴィヒ・リース Ludwig Ries - 歴史学者。日本人女性と結婚。史学会創設とランケ 派史学の移植など。 ルプ・ジ・カルヴァリョ Lopo Sarmento de Carvalho - ポルトガル の日本貿易船隊司令官。 レオ・シロタ Leo Sirota - ピアニスト。日本に亡命したウクライナ系ユダヤ人。のちアメリカに移住。 レオ・メラメド Leo Melamed - ポーランド出身の投資家。1939年、杉原千畝の発行したヴィザで日本に亡命し、九死に一生を得る。1941年に渡米。 レオニード・クロイツァー - ピアニスト。日本に亡命 したロシア 系ユダヤ人。日本人女性と結婚し、東京藝術大学 で教え、茅ヶ崎 に定住して日本で亡くなった。 レスター・サルウィン Lester Salwin (1911-1984)-アメリカ・ミズーリ州出身の法曹。イリノイ州の弁護士資格を取得後、連邦政府の公務員となり、1946年8月、志願して占領下の日本に来る。GHQでは、1946年12月から経済科学局反トラスト・カルテル課の立法係主任として、昭和22年に制定された日本の独占禁止法 の起草作業において当初GHQを代表して交渉し、その内容の形成に極めて大きな役割を果たした。また、株主の帳簿閲覧権や代表訴訟制度を設けた昭和25年の商法 改正の際にも、最初に改正の内容をシックス・ポインツとして提示し、改正の方向を決定づけるなど大きな役割を果たした。占領終結後も大使館員として日本にしばらく残ったが、その後、帰米し、中小企業庁等に勤務した。 レフ・メチニコフ - 地理学者、社会学者、ナロードニキ革命家。生物学者イリヤ・メチニコフ の次兄。ロシアから日本に亡命中、大山巌 の推挽により東京外国語学校露語科で講師を務める(1873 - 75年)。日本亡命時の回想記として『亡命ロシア人の見た明治維新』(原題『日本の文明開化 - 明治』 / 1876年)・『回想の明治維新』(原題『日本における2年間勤務の思い出』 / 1883 - 84年)がある。 ロイ・真・長谷川(長谷川真) (1906-1996) - 日本人の元キリスト教徒のヘブライ語・神学・社会学者、のち改宗者。 ロジャー・パルヴァース Roger Pulvers - 作家、劇作家、演出家、東京工業大学 教授。アメリカ出身だがオーストラリアに帰化。1994年以降は日本に住む。宮澤賢治 や坂口安吾 を英訳。 ロバート・アラン・フェルドマン Robert Alan Feldman - モルガン・スタンレー証券 日本主席エコノミスト。 ロバート・クリッツァー Robert Kritzer - 仏教学者。京都ノートルダム女子大学 教授。 ロバート・ゲラー Robert J. Geller - 地震学者。東京大学教授。 来日した人物 日系 ハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ(ジュエリーデザイナー)Harumi Klossowska de Rola - ヨーロッパ出身だが、日本人の母とユダヤ人(母親がユダヤ系)画家バルテュス (クロスフスキ・ド・ローラ)の間に生まれた。 カルメン・マキ - 1968年からミュージシャン ケニー野村 Kenny Nomura - 元野球選手 。野村沙知代 とユダヤ系アメリカ人Alvin George Engelは(アルヴィン・エンゲル) の息子。「グッバイ・マミー―母・野村沙知代 の真実」などの著書が話題となったこともあった。 剣太郎セガール - モデル。父スティーヴン・セガール がユダヤ系アメリカ人。 室井一真 - 日本の起業家。保守派に改宗。文化人類学、児童福祉を研究している。 ユダヤ教へ改宗した日本人 小辻節三(アブラハム小辻)(1899-1973) - 神学者 ・ユダヤ教 研究者、のち改宗者。 米谷ふみ子 - 作家。ユダヤ系アメリカ人作家ジョシュ・グリーンフェルド Josh Greenfeld と結婚し、ユダヤ教に改宗。 モーシェ服部 - ラビ 、ヘブライスト。夫婦でユダヤ教に改宗しイスラエル に移住。 室井一真 - 日本の起業家。保守派に改宗。文化人類学、児童福祉を研究している。 その他、注記 関連文献 『ユダヤ人と日本人』(ベン=アミー・シロニー 著 / 仲山順一 訳 / 日本公法 / ISBN 4-931020-03-8 / 1993年4月) (絶版) 『ユダヤ人と日本人の不思議な関係』(ベン=アミー・シロニー 著、立木勝 訳 / 成甲書房 / ISBN 4-88086-170-7 / 2004年11月) 『世界の聖典7; ひろさちやが聞くユダヤ教の聖典』(ひろさちや 、石川耕一郎 著 / 鈴木出版 / ISBN 4-7902-9029-8 / 1993年4月) 『イスラエル VS. アラブ 誤解と真実』(ニアイースト・リポート編 / 滝川義人 訳 / ミルトス / ISBN 4-89586-114-7 / 1991年4月) 『図解ユダヤ社会のしくみ 現代ユダヤ人の本当の姿がここにある』(滝川義人 著 / 中経出版 / ISBN 4-8061-1442-1 / 2001年3月) 『日本に来たユダヤ難民―ヒトラーの魔手を逃れて 約束の地への長い旅』(ゾラフ・バルハフティク 著 / 原書房 / 1992年4月) 脚注 [脚注の使い方 ]
^ Golub, Jennifer, JAPANESE ATTITUDES TOWARD JEWS. PACIFIC RIM INSTITUTE OF THE AMERICAN JEWISH COMMITTEE ^ “Our history”. Jewish Community of Japan(日本ユダヤ教団). 2020年3月16日 閲覧。 ^ “ユダヤ コミュニティーセンター”. PROJECTS . Maki and Associates. 2020年3月16日 閲覧。 ^ Grandson of Japanese General who Saved Jews Visits KKL-JNF Books of Honor Wednesday, June 13, 2018KKL-JNF ^ ユダヤ人5,000名を救った樋口季一郎とオトポール事件をご存知でしょうか 2020/08/20 武将ジャパン ^ 阿部吉雄「戦前の日本における対ユダヤ人政策の転回点」『言語文化論究』第16号、九州大学大学院言語文化研究院、2002年、1-13頁、doi:10.15017/5463、ISSN 13410032、NAID 110000522757。 ^ “歷史與空間:中國的「舒特拉」”. 文匯報 (2005年11月23日). 2014年12月12日 閲覧。 ^ “八十年前猶太人與日軍勾結的哈爾濱復國夢”. 中國評論通訊社 中国評論新聞網 (2009年7月20日). 2014年12月12日 閲覧。 ^ a b c d Albert Axell, Hideaki Kase Kamikaze: Japan's Suicide Gods p.24, Longman, 2002 ^ http://www.kansai-u.ac.jp/Gr_sch/let/eu/20130611.pdf ^ Michael Martin Baer (1841 - 1904) - Genealogy - Geni ^ a b c 筒井功『新・忘れられた日本人』p.212 参考文献 レイン・アーンズ 編、梁取和紘 訳『長崎居留地の西洋人』福多文子訳・監訳、長崎文献社、2004年12月20日。ISBN 4-88851-020-2。 『まちなかガイドブック2』長崎史談会、長崎市観光政策課編集・発行、2015年3月20日。 関連項目 外部リンク Links to Jewish Communities - Japan - Beyth haTphutzoth Japan (長崎、広島、神戸、東京、横浜などのコミュニティーと連絡先) Die Meiji-Deutschen 日本ユダヤ教団(英語) 神戸・ユダヤ文化研究会 Chabad of Tokyo, Japan - 東京のコミュニティーと連絡先
ミズラヒム
インドと周辺のユダヤ人(英語版)
その他
中国のユダヤ人(英語版) ヘレニスト イタリアのユダヤ教徒(英語版) ツァルファーティー フランス系ユダヤ教徒(英語版) アイルランドのユダヤ人(英語版) アバユダヤ(英語版) レンバ族(英語版) サマリア人 ブラック・ジュー ハザール のユダヤ人 ユダヤ=キリスト教徒(英語版) ユダヤ系アメリカ人 日本のユダヤ人
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