怪人マブゼ博士

怪人マブゼ博士
Das Testament des Dr. Mabuse
監督 フリッツ・ラング
脚本 フリッツ・ラング
テア・フォン・ハルボウ
製作 フリッツ・ラング
シーモア・ネベンザル
音楽 ハンス・アードマン
撮影 カール・ファース
フリッツ・アルノ・ワグナー
配給 三映社
公開 フランスの旗 1933年4月21日
日本の旗 1935年2月28日[1]
上映時間 124分(ドイツ語、現存121分)
製作国 ドイツの旗 ドイツ
言語 ドイツ語
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怪人マブゼ博士』(原題:Das Testament des Dr. Mabuse、英題:The Testament of Dr. Mabuse)は、フリッツ・ラングが監督した1933年の映画。『ドクトル・マブゼ』と『M』の2作の続編であり、ラング史上2本目のトーキー映画にしてマブゼ博士を悪役にした作品である。

しかし、この当時はナチスの政権掌握直後であり、試写を見たヨーゼフ・ゲッベルスが反感を抱いたこともあってドイツでは公開から間もなく上映禁止となった。翌1934年にラングはアメリカ合衆国へ亡命することとなる。

現在ではドイツ語版とフランス語版が残っているが、ドイツ語版は3分が欠如している。

ラングは戦後、続編として怪人マブゼ博士(マブゼ博士の千の眼)(ドイツ語版)1960年に制作したが、これが遺作となった。

キャスト

脚注

  1. ^ 東京朝日新聞 昭和10年2月27日夕刊の広告(帝国劇場武蔵野館

外部リンク

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ドイツ時代前期
1919 - 1933年
  • ハルプブルート(ドイツ語版) (1919)
  • デア・ヘル・デア・リーベ(ドイツ語版) (1919)
  • 蜘蛛(ドイツ語版) (1919)
  • ハラキリ (1919)
  • 支離滅裂なイメージ(ドイツ語版) (1920)
  • 死滅の谷 (1921)
  • ドクトル・マブゼ (1922)
  • ニーベルンゲン(ドイツ語版) (1924)
  • メトロポリス (1927)
  • スピオーネ (1928)
  • 月世界の女 (1929)
  • M (1931)
  • 怪人マブゼ博士 (1933年) (1933)
亡命(フランス・アメリカ)時代
1934 - 1956年
ドイツ時代後期
1957年以降
  • 大いなる神秘 情炎の砂漠(ドイツ語版) (1958)
  • 大いなる神秘 王城の掟(ドイツ語版) (1958)
  • 怪人マブゼ博士 (1960年)(ドイツ語版) (1960)
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