丁 孚(てい ふ、生没年不詳)は、中国三国時代の呉の歴史家。
後年に当たる孫皓の時代、華覈が薛瑩の放免を願い出る上疏[1]の中にその名が見える。
それによると丁孚は孫権の末年、呉の太史令を務めていた。郎中の項峻と共に『呉書』の編纂を命じられたが、両名には史官としての天分はなく、その編纂した内容は記し留める価値もないものだったという。
出典
- 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻53 呉書 薛綜伝付薛瑩伝 s:zh:三國志/卷53#子_瑩
脚注
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- ^ 華覈は薛瑩らと共に呉書の編纂を命じられたが、薛瑩が流罪となり自分だけでは史書の編纂はままならず、これでは項峻・丁孚の二の舞になると訴えた。