マリヤン・プシュニク
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オリンピア・リュブリャナ時代のプシュニク | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Marijan Pušnik | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スロベニア | |||||
生年月日 | (1960-11-01) 1960年11月1日(63歳) | |||||
出身地 | スロヴェニ・グラデツ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
当項目参照 | ||||||
監督歴 | ||||||
当項目参照 | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マリヤン・プシュニク(スロベニア語: Marijan Pušnik, 1960年11月1日 - )は、スロベニア出身のプロサッカーのコーチ・監督。
来歴
スロベニアのNKドラボグラードなどで選手生活を送り、1991年に現役を引退。1994年より指導者として、NKマリボルやNKルダル・ヴェレニエなどのクラブチームの監督を歴任し、CMCプブリクム・ツェリエやNKマルボルの監督時にはUEFAカップへ出場した。また、2002年にUEFAの「国際プロ・ライセンス」を取得している[1]。
2012年12月14日、アビスパ福岡の監督に就任した[1]。ファンサービスを手厚く実施したことでサポーター人気は高かったものの、守備・フィジカルトレーニングの軽視や自身の立案した戦術の盲信・固執、メディアの前での個人批判を繰り返したことで選手からの信頼を得られなかった。最終的に二年間指揮を執るが、両シーズンとも中盤から成績が急降下し2014年シーズンをもって退任。エル・ゴラッソ福岡担当の杉山文宣は、選手に冷淡な態度を取り続けたプシュニクと、誰ひとりとしてリーダーシップを取り選手間・首脳陣との対話を行おうとしなかった選手の双方に落ち度があったとした上で「プシュニク監督に率いられたこの2年間、福岡にプロフェッショナルは存在しなかった」とプシュニク体制を厳しく分析している[2]。
選手歴
- 1976年 - 1977年 NKフジナー[1]
- 1977年 - 1978年 NKルダル・ヴェレニエ[1]
- 1983年 - 1990年 NKドラボグラード(英語版)[1]
- 1990年 - 1991年 FCシュワンバーグ[1]
指導歴
監督歴
- 1994-1996 NKドラボグラード
- 1996-1997 NKコロタン
- 1997-1998 SAKクラーゲンフルト
- 1998-1999 NKドラボグラード
- 2000-2004 ツェリェ
- 2004-2005 パスルガド・テヘラン
- 2006-2007 マリボル
- 2007-2010 ルダル・ヴェレニエ
- 2010 SCダマーシュ・ラシュト
- 2012 ツェリェ
- 2013-2014 アビスパ福岡
- 2015 オリンピア・リュブリャナ
- 2016 ハイドゥク・スプリト
- 2017 オリンピア・リュブリャナ
- 2017-2019 ルダル・ヴェレニエ
成績
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2013 | 福岡 | J2 | 14位 | 56 | 42 | 15 | 11 | 16 | - | 2回戦 |
2014 | 16位 | 50 | 42 | 13 | 11 | 18 | - | 2回戦 | ||
J2通算 | - | - | 84 | 28 | 22 | 34 | - | - |
脚注
- ^ a b c d e f “マリヤン・プシュニク氏 監督就任のお知らせ”. アビスパ福岡公式サイト (2012年12月14日). 2012年12月23日閲覧。
- ^ エル・ゴラッソJ2リーグ総集編2014、p103
関連項目
外部リンク
- マリヤン・プシュニク - Soccerway.com (英語)
- マリヤン・プシュニク - FootballDatabase.eu (英語)
- マリヤン・プシュニク - WorldFootball.net (英語)
- マリヤン・プシュニク - Transfermarkt.comによる指導者データ (英語)
- マリヤン・プシュニク - J.League Data Siteによる監督データ
アビスパ福岡及びその前身チーム歴代監督 | |
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