コマンチャ共和国

コマンチャ共和国
Команчанська Республіка
オーストリア=ハンガリー帝国 1918年 - 1919年 ポーランド第二共和国
コマンチャ共和国の国旗
(国旗)
コマンチャ共和国の位置
公用語 ウクライナ語
首都 ヴィスウォク・ヴィエルキ
大統領
1918年 - 1919年 パンテレイモン・シュピルカ
変遷
建国 1918年11月4日
消滅1919年1月23日

コマンチャ共和国(コマンチャきょうわこく、ウクライナ語:Команчанська Республіка)は、第一次世界大戦後の1918年オーストリア=ハンガリー帝国から独立した国家である[1]東レムコ共和国ヴィスロツカ共和国とも呼ばれている。 この国家は、存在した親ロシア派の短命国家、レムコ=ルシン人民共和国と混同されることがある。

歴史

オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊(英語版)後、ウクライナ西部では独立運動が激化した。ポーランド軍がシャニクに駐留しており評議会設立が不可能だったためヴィスウォク・ヴィエルキにシャニク郡の評議会設置が決定され、レムキフシチナ東部の独立運動の中心となった。

脚注

  1. ^ Magocsi, Paul Robert (1993). “The Ukrainian question between Poland and Czechoslovakia: The Lemko Rusyn republic (1918-1920) and political thought in western Rus'-Ukraine”. Nationalities Papers 21 (2): 95–103. doi:10.1080/00905999308408278. 
ロシア革命後に誕生した国家組織(1917年 - 1922年)
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ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
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クバーニ
北カフカース
ボリシェヴィキ系
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極東
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
ザカフカージエ
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
中央アジア
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
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  • ザカスピ臨時政府(ロシア語版)
  • 自治コーカンド(ロシア語版)
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ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
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